🌞夏がきた、きた、きたー
昨日も今日も、まるで真夏のような陽気。
最高の季節が、ついにやってきました。夏です。きた、きた、きたー!
まだ6月なのに、初夏を通り越して、本格的な夏の空気。
がん患者として、正直、あと何回この夏を迎えられるのかは分かりません。
けれど、生きているかぎりは、やっぱり「この季節」を楽しみましょう。
🧢公園の風景と、あの頃の自分
今日は、道すがら、公園で子どもたちが野球をしているのを見かけました。
学校から帰って、ランドセルを放り出して、グラブを持って飛び出すあの感じ――。
僕も子どもの頃、まったく同じように、夕暮れまで夢中で白球を追いかけていました。
汗まみれになって、声を張り上げて。
今でもその記憶は、夏の光と一緒に、身体に刻まれています。
🎵思い出す曲と、ふと訪れる切なさ
そして、夏が始まると、いつも思い出すのが――
森山直太朗さんの「夏の終わり」。
夏は始まったばかり。
けれど、その始まりには、すでに“終わり”の影があるような気がして。
公園で心地よい夏の風を感じながらも、
僕の中では少しだけ「しんみり」した気持ちが膨らんでいました。
この始まりの光が、終わりに向かっていることを、なぜか肌で感じてしまう。
そんな「はかなさ」も、また、夏の美しさなのかもしれません。
🌻今日という一日を、夏のように
今年の夏が、どんなふうに終わっていくのかはまだ分かりません。
でも、こうして迎えられた今日の“真夏のような日”に、
胸いっぱいに空を吸い込みたくなりました。
生きているって、やっぱり尊い。
夏がくるって、ほんとうに最高ですね。
🌿 夏の始まりに聴く「夏の終わり」
— 公園の風と森山直太朗と、あの頃の記憶 —
昨日も今日も、まるで真夏のような陽気。
6月だというのに、街はもう蝉が鳴き出しそうな空気に包まれています。
今年も夏がやってきました。きた、きた、きたー。
でも僕は、そんな夏の始まりに、ある一曲を思い出します。
森山直太朗さんの「夏の終わり」。
♪ 誰かが言いかけた 言葉寄せ集めても
誰もが忘れゆく 夏の日は帰らない 夏の祈り 夏の祈りは妙なる蛍火の調べ
風が揺らした風鈴の響き
――森山直太朗「夏の終わり」より
公園のベンチに腰を下ろし、心地よい風を感じていたはずが、
ふいにこのフレーズが頭の中で流れ出しました。
夏は始まったばかりなのに、なぜか“終わり”のイメージが浮かぶのです。
その感覚は、がんという病気と向き合っている自分だからこそ
より鮮明に感じるものかもしれません。
🧢 野球少年と、夏の午後の残像
今日、公園では、子どもたちが野球をしていました。
グラブの音、バットの音、はしゃぐ声。
どこか懐かしい、それでいて愛おしい音風景。
かつての自分もそうだった――。
放課後、ランドセルを放り投げて、友だちと野球に夢中になったあの日々。
あの時間には「終わり」なんて考えもしなかった。
永遠に続く夏のような、まぶしい時間だった。
でも今は、その“始まり”にさえ、そっと“終わり”の気配を感じてしまう。
それは少し寂しいことだけど、同時に、とても美しいとも思うのです。
🎵夏の終わり、夏の終わりには
ただ、貴方に会いたくなるの、いつかと同じ風吹き抜けるから
♪
――森山直太朗「夏の終わり」より
この歌の中で描かれる“終わり”は、寂しさだけではなく、
その寂しさを感じられる「今があること」への静かな感謝でもある気がします。
もしかすると、僕が夏の始まりにこの曲を思い出すのは、
この「今という時間を噛みしめたい」からなのかもしれません。
🌻 この夏も、またひとつ
あと何度、この季節を迎えられるのか――
それは僕にもわかりません。
でも、今日こうして、夏の匂いを胸いっぱいに吸い込めたこと。
子どもたちの笑い声に耳を澄ませ、過去の自分を思い出せたこと。
そして、「夏の終わり」を心の中で流せたこと。
それだけで、今日は“かけがえのない一日”だったと思えるのです。
🎧 余談:この曲を聴いたことがない人へ
森山直太朗「夏の終わり」は、2003年に発表された名曲で、
今もなお、多くの人にとって“夏の原風景”を呼び起こす歌として愛されています。
SpotifyやYouTubeでも聴けるので、ぜひ静かな夕暮れに。
#夏の匂い #夏の始まり #夏の曲 #夏の香り #夏の曲 #夏 #曲 #夏の始まり表現 #夏の始まり 季語